加那たちと郷土を愛でながら過ごす
ゆくさの日々が綴られています。
そして、それらが「どうすれば、等身大の幸せが得られるか?」という問いに対答えです。
「生きているだけで辛い、幸せになれるはずがない。それでもなれるというのか?」
そのような気持ちよく分かります。
「人間万事塞翁が馬」
この故事成語については皆さんご存知だと思います。
占いの得意な翁が塞という所に住んでいた。
飼っている馬に逃げられたとき、一見悪いこ の出来事を良いことをもたらすと言った。
馬が別の良い馬を何匹か連れて帰ってきた。
この良さげな出来事を悪いことをもたらすと言った。
良い馬がいっぱいいる環境であったが、その馬の一頭から息子が落馬して怪我を負った。
このことを良いことだろうと言った。
そのうち戦争が始まるが、その怪我のおかげで徴兵を息子は免れた。
といったものですね。
少しだけ補足説明するとこの場合の「人間」は日本語の人間(にんげん)ではなく、
「人の世」と言った意味になります。この使い方のときは、「じんかん」と読みます。
このブログで述べたいことは上記の内容ではあります。が、どうでしょう?
「そんなの知っているよ。」「それで何?」といった声が聞こえてきそうですよね。
あまた存在する故事成語で人の考え方や生きる方法が変わるなんてことはそうないですよね。
私のプロフィールを読んでいただけましたでしょうか?
大体こんな感じです。
鹿児島市で35歳のおじさんが公立学校教職員として暮らしてました。
父の死、母の大けが、娘の脳腫瘍発症、精神の不調、離婚、失職、精神病院入院、孤独
さまざまな一見不幸そうな出来事が起きました。
入院時主治医が言いました。「良かったですね。今は思えないでしょうけど。」
単極性うつ病が軽快してきました。8年かけた治療でやっと社会復帰の目途が立ちました。
と思ったら躁転しました。
10数名の若者たちと大立ち回りを演じる。彼女の会社に怒鳴り込む。
うつで臥せっていた頃よりリスキーな日々となりました。
なんとか激務であるせいか?求人困難なのか?介護福祉士として職を得ました。
人間関係、拘束時間、体への負担、経済的な待遇
聞きしに勝る激烈なストレスで3年10か月で辞めてしまいました。
妻の家族を落胆させその関係が悪化しました。
すぐに働かなくてはと思い社会福祉士の資格を生かして
月給10万円程度の最低ラインで職につきました。
経営者から命じられる福祉従事者としての自己の業務に大変な疑問を感じました。
1週間程度で退職してしましました。
このようなことから、私は病気があるため働けない状態が続くことを考慮し
妻が生活相談員を退職して、精神保健福祉士の資格を生かして起業しました。
妻から
「私の会社は、あなたのような人が利用するとこらだからうちで働いたら」
と言われそのようにしました。
勤続できそうということで、取締役となり、現在に至ります。
現在は「等身大の幸せ」を満たしています。
紀元前のエピソードでなく、身近な体験として読むとどうでしょう?
何が不幸を呼び、何が幸せの兆候なのか?
まさに「人間万事塞翁が馬」と思いませんか?
私は「等身大の幸せ」状態くらいしか耐えられない脆弱性があります。
そのこと自体がそれが達成された理由ともなっているのです。
初回のQuestion、
「生きているだけで辛い、幸せになれるはずがない。それでもなれるというのか?」
に対する私のAnswerは
「なれます。」です!(^^)!