1965年大坂生まれ、幼稚園から父の郷里鹿児島に引っ越したのは、父が大阪でギャンブル依存となり多重債務に陥り、当時勤めていたバス会社を解雇されたためである。
鹿児島県立鶴丸高校から鹿児島大学教育学部を卒業し、数十の仕事を経験したのちに、養護学校の寄宿舎の本県初の男性寮母として採用される。その後、一度目の結婚を期に教員となる。
35歳くらいから、父を難病で亡くし、娘が脳腫瘍を発症、最愛の母が大けがを負うなど苦しいことが重なり、うつ病を発症、離婚、失職を余儀なくされる。二度の精神病院入院を経験する。
社会復帰に向けて、専門学校昼間部に2年間通学して介護福祉士の資格を取る。そして念願の介護職として社会復帰を果たす。
介護職として勤める間に社会福祉士の資格を通信で取得、3年10か月勤続したのち妻が福祉事業を始めるとのことで、サービス管理責任者として妻の会社で働く。
現在は株式会社加那取締役。就労支援事業所ゆくさ施設長である。